特集
戻る
北九州市折尾地区の取り組みについて

メニュー

北九州市の沿革|折尾地区の歴史|折尾地区のまちづくりについて



折尾地区について

(1)概 要

本市西部に位置し(北九州市位置図参照)、JR鹿児島本線とJR筑豊本線が結節する折尾駅を中心とした約200fの地区です。
折尾駅周辺には江戸期より物資の輸送に用いられた堀川(運河)があり、明治期以降は筑豊炭田を背景に、鉄道による石炭輸送の中継点として、また遠賀郡・中間市を含む北九州市西部の中心地として発展しました。
昭和40年代になると、鉄道の利便性を生かして大学・高校等の立地が進み、学生数15,000人の学園都市(3大学2短大4高校)として発展し、周辺部では住宅開発が活発に行われ、これにあわせて幹線道路の整備が進みました。
現在では、JR折尾駅の乗降客数は九州管内第4位の約4万人/日、サービス圏人口約20万人を抱える北九州西部都市圏の中心核となっています。

大正初期:堀川を行く「川ひらた」(五平太舟)。折尾駅のすぐ近くでこんな風景が見られた。最盛期の明治30年代には一日六百艘もの舟が行き来し、洞海湾まで石炭を運んだという。 (出典:北九州思い出写真館)  

>>拡大

(2)鉄 道

明治23年(1890)に鹿児島本線、24年(1891)に筑豊本線と相次いで鉄道が開通し、人や物資(特に筑豊炭田からの石炭)の集散の場となりました。このとき折尾駅は設置され、ここで立体交差(駅構内において、鹿児島本線が盛土構造で2階レベルを通り、その下を筑豊本線が地上レベルで通過している)が日本で初めて用いられたことは特筆されます。
現駅舎は大正5年(1916)に完成しており、鉄道3線(JR筑豊本線、鹿児島本線、短絡線)が交差し、短絡線(筑豊本線と鹿児島本線を直接結ぶ支線)の駅が分離(約170m離隔)して存在するなど、複雑な構造となっています。

現在の折尾駅舎
現在の折尾駅舎
>>拡大

本ホームページは、「踏切すいすい大作戦」参加団体が制作・管理・運営を行っております。